死ぬほどブログが続かない

ほんとに死ぬほどブログが続かない。

3日ともたない。

今回もはてなブログの運営に尻叩かれて書いてる。そろそろ次の記事書いた方がいいんじゃないとかメールで苦言を呈してくる。怖。

正直言うとブログやってたことすら忘れてた。


書けないなら書けないなりに、書けない理由を考察することにしました。


1.書くことがない

   ほんまこれ。なにがあれって書くことがない。貧弱な語彙力と文才では、映画見ても本読んでも脳足りんで言語化できなくて「おもしろかったー」で済んじゃう。

  今はこういう時代だから、素晴らしい書評や映画の考察とか溢れかえってて、映画や本で感じた言語化できないもやもやしたバラバラパズルな感情を、言葉のピースでカチリと当てはめてくれるブログが、この世にゴマンとあるのだ。


じゃあもう……書かんくても、よくない?って思いがち。

だって、自分が書いたらアホみたいな文章を散りばめることになって、インターネットデブリを生産してしまうし…。

私は書けたらきっとすごいんだぞっていう妄想が、形になる事によって粉々に粉砕されるのが怖い。

無駄にプライドが高いということだ。そんなもの犬も食わない。

続けられなかったと言って誰が損するわけでもないし、ってサボろうとする時言い訳するんだけど、しっかり自己嫌悪するからただ一人で損してる。

続けられないからと言って悪いことじゃないけど、健全じゃないなって感じる。

今こうやって書いてても合ってる?って心配になってしまう。

感じたことに成否を求めるなんてナンセンスだ。

誰だって感じるままに感じても良いはず。

散々言われてる話だけど、こういうところが読書感想文とか、作文とかの、子供にはこう書いてほしいんだろうなって、ある程度正解が分かる学校教育の弊害なんだなぁって思う。知らんけど。

感化されやすいし、頭がそんなによくないから、きっとどっかで見た記事の焼き直ししちゃってるんだろうなぁとか、すごく不安で。

でもまぁなにかを見ながら書いてるわけじゃないのでその辺はお許しいただくとする。

とかなんとか書いてたら結構書けてて嬉しい。




2.才能問題

よくわかんないけど、自分には何かしらの才能が備わってるんじゃないかって錯覚している。この感覚には覚えがあります。そうです中二病です。

なんか急にその才能がビックバン起こしてカンブリア紀になってウッハウハな妄想がめちゃ楽しい。

なので実際行動することによってその妄想が打ち砕かれるのが嫌なんでしょうね。妄想は妄想のままで留めておきたいのでしょう。

頑張って行動したら、妄想も現実になってもっと楽しいかもしれないのに。我ながら不思議な生態系です。

でもまあその辺もね、私も脂の乗りまくった(物理)大人の女性なので、この病気を屈服させるには手を動かすしかないってわかりましたけどね。昨日家の中で涅槃のポーズしながら寝てたら急にそう悟りました。ニルヴァーナすごすぎない?やっぱ格好から入るのは大事。



3.羞恥心

大久保くんって芸能界やめたん?

最近上地雄輔も見てないし、つるの剛士ぐらいしか生き残ってないよね。世代なら分かる話。

それはさておき、羞恥心です。

自分ではもっと上手に作文できると思ってました。書いてる時もノリノリで、もしかしたら天才かもしれない!ってだいぶ図に乗ります。

でもいざ完成して読んでみたりすると、内容スッカスカで何これ…ってならなかったことないので、まぁいわゆる賢者タイムってやつなんですねぇ。

多分、慣れてないだけだし、練習したらどうってことないんでしょうけど。

つまり手を動かすって話をまたするのか……存外脳筋思考のようです。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心を引っさげたブログなので、書くときはちょっと気を大きくして、虎になった気分で書くようにしますかね。


書ききったことに達成感というか、デトックス効果みたいな感覚があるのは感じます。

アウトプットは排泄物ですね。

ブログは心の垢すりみたいな感じで続けていけたらなぁって思います。

これで更新頻度が1ヶ月に一度から間隔が短くなってたら、なんか自分にご褒美買ったげようかな。